北海道からの川便り

「水辺空間を探訪する会」の活動報告(1)
   水辺空間を探訪する会
    会長 水元 侃(二種正会員・会社員)
          

 最近、国民は、「自然環境の保全」を強く求める時代である。直線化され両岸をコンクリートで固められた河川、山間部を切り開いて開通した道路等、人々は、これらの結果として、周辺も含めた区域内の生物生息環境が著しく変化し、あるものは絶滅の危機に瀕していると唱える。確かにそれは、現実に発生している。従って今後の基盤整備に関しては、人々の社会生活上の利便性だけを追求して決定して行く事は、避けなければならない。そして時には、既存の整備済み施設に関して、以前の状態に復元する要望も多くの声となっている。
 これらの声を無視し、あるいは否定する行為は、もはや為政者といえども許されない。このような状況は欧米を含めて、世界的な流れであり、気象条件地形条件等の日本の特殊条件から、技術的判断が難しい問題があるからと言って逆らう事はもはや無理なのである。
 しかし、ここでもう一度これまでの治水事業について検証してみたい。
 最近の国民の批判に異論を唱えるつもりはさらさらないが、それでは、これまで全て国土及び、生物生息環境を破壊しただけなのか? 本当に人々に寄与したものはないのか? そんな筈はないのである。
 日本の高度成長を支えた産業の発展は、安心して暮らせる国土があったからこそであろう。ただ、その目的・目標を多面的にとらえる視点が若干足りなかったという事であろう。
 筆者は、平成12年にかつて道庁で河川系技術者として業務に従事しその後、公務員を退職した25名の仲間と共に「水辺空間を探訪する会」を発足させた。
 この会の目的は、かつて洪水による不安のない安心して暮らせる国土の形成により、戦後の高度成長の一翼を担ったという自負を持っている者同士が、その後、地域の中でどのような姿になっているのか? 更に地域の人々にどのように評価されているのか? そして、近年の環境保全思想に対して、どの点が反省すべき所なのか? 更に、改善すべき可能性はあるのか? 等々について、それを進めてきた者の責任として、現地を踏査しながら真摯な立場で、最近の思想も含めて、再評価してみようという事である。
 これまで都合5回の会を開催した。1回目は平成12年9月に札幌市内の厚別川を清田地区を中心として散策した。この地域は昭和41年の災害助成工事により整備したものであり、その後周辺が急激に都市化され、現在は完全に市街地を形成しているが現在まで30年余の間、洪水による被害報告はない。
 このように治水機能は充分役割を果たしていること、更に河道内には永い年月を経て、河畔林が適度に繁茂し、ある程度自然性が保たれている事等を見ると、自然の復元力に驚嘆すると共に、多様な自然の保全・復元を論ずる時、ある程度年月を受認する心構えもあっていいのではないかと思われる。
 厚別川の探訪を経て、「自然との共生」の視点に立つ時、整備計画を議論する要素として、年月という時間も対象に加えてみたいものだと感じている所である。私たちは20世紀に治水事業に携わった者として、今後もこの会を通じて、近年国民が求めている姿を充分理解しながら、自分たちの過去に特別な思い入れをする事なく、冷静に見つめ直し、反省すべき所は反省しながら、後世の人たちに若干の専門家としての立場から、情報として発信して行く責任があると感じている。
 次回は、第2回目の探訪会から順次報告していきたいと思います。

(平成14年9月末 記)