愛知県碧南市からの川便り

明治時代の土木工法「人造石」について
       杉浦 隆治 (二種正会員)
          

 私の住んでいる愛知県碧南市は、セメントコンクリートが普及するまでの明治10年代から30年代に、全国各地で用いられた人造石工法の発明者、服部長七の生まれ故郷です。去る9月7日、愛知県県史編纂室主催の「愛知県史を語る会」で、人造石工法の特徴と服部長七の業績についての講演があり、この日本独自の技術から生まれた、当時としては非常に優れた土木工法について改めて理解を深めました。写真「人造石を用いた構造物」
 人造石は、従来から土間や床下、流しなどの湿気の防止や水密を要するところに、消石灰と真砂を水で練ってたたき固めて使われていたいわゆる「たたき(三和土とも書く)」を土木工法として利用できるようにしたもので、服部長七は明治時代の新田開発、築港などに必要となった大規模土木工事にこれを応用し全国に普及させていったということです。
 この工法は水密性のあることから、干拓堤防の護岸や岸壁などのほか、河川や用水の立切や樋管にも使用されました。愛知県は服部長七の地元であることと、材料となる真砂が入手し易いことから人造石を用いた土木工事が数多く施工され、現在でも矢作川の明治用水旧頭首工や家下川の暗渠、名古屋市の堀川の上流端となる庄内用水元杁樋などに見られます。
 この人造石工法の講演で興味深かったことは、発明者の服部長七の人柄を象徴する話として、練り土を「たたく」ために必要な大勢の人夫を統率することのできる信頼の厚い人物であったこと、国家のためにという考えから採算を度外視して請け負うようなことが多かった、ということで、郷土の誇りと思っています。また、石と人造石を用いて護岸などを造る場合、石と石を接触させず、2〜3寸の厚みの人造石をたたき締めて作り、その層を介して石を積んでいくことが水密性を確保するポイントのようで、普通の石積みと異なり、写真のように広い目地があるように見えるのが特徴です。現在残っている構造物は目地をモルタルで補修されているものが多いということですが、皆さんのお近くでも見つけられるかも知れません。